そこで話はきっすいの晩方のオバケから始めなければならぬのだが、夕をオオマガドキだのガマガドキだのと
名づけて、悪い刻限と認めていた感じは、町では既に久しく亡びている。私は田舎に生まれ、又永い間郊外の寂しい
部落に住んでいるために、まだ少しばかりこの心持を覚えている。古い日本語で黄昏をカハタレといい、もしくは
タソガレドキといっていたのは、ともに「彼は誰」「誰ぞ彼」の固定した形であって、それも唯単なる言葉の面白味
以上に、もとは化け物に対する警戒の意を含んでいたように思う・・・・・
黄昏を雀色時ということは、誰が言い始めたか知らぬが、日本人でなければこしらえられぬ新語であった。雀の
羽がどんな色をしているかなどは、知らぬ者もないようなものの、さてそれを言葉に表そうとすると、だんだんに
ぼんやりしてくる。これがちょうど又夕方の心持でもあった。すなわち夕方が雀の色をしているゆえに、そう言った
のでないと思われる・・・・・
柳田國男「妖怪談義」中より、
”妖怪談義”第三節冒頭
および”かはたれ時”冒頭
講談社学術文庫より
ちゅん
あし あと
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