京都・清涼寺
Seiryo-ji, Templo de Budista

その1 / Primera

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嵯峨野の道のどんつきを右へ行った
山の麓の閑静な住宅街の中に
ある意味不釣合いかな〜、て感じで
大きな門が建ってます
仁王門

2006年4月10日 / 10 de Abril, 2006

安永6年(1776年)再建の門
楼上には十六羅漢さんがいたはるそうな
門の下には金剛力士さん(室町)

その2 / Segunda

ひろびろと境内
あいにくの雨ながら、桜が咲いてます
向こうが本堂

仁王門の左手にはこじんまりと多宝塔
端正
元禄13年(1700年)の江戸出開帳の際の寄進でまかなった塔

桜咲く道の奥は一切経蔵
徳川中期の建築
明版一切経を収めてある輪蔵があって
ぐるぐる回せる

こういうアミューズメント式功徳は、江戸時代やね

写真右手の桜の陰は、八宗論池といい
弘法大師ゆかりの池

よく関東や東北なんかの寺にある
伝教大師やら弘法大師やらの伝説と違い、
ここのはマユツバ度が少ないのではないか、と

境内側から見た仁王門
立派な建築やねぇ
もう少し天気良かったならな〜

境内内、西側
鐘楼

さて本堂
もちろん幾度も炎上して、現在は何度目かの再建
現在のお堂は元禄14年(1701年)の再建

本堂、および内部の本尊を覆う荘厳は
五代将軍・綱吉公の生母桂昌院(けいしょういん)の
寄進によるもの

桂昌院は、功徳を願って寺院を建立しまくった人
京都には桂昌院ゆかりの建築物やら
お手植えの松やらがたくさんございます

まぁいわゆる、
占いや宗教にハマったオバハンと思っといたら
間違いない

なまじ権力者やっただけに周りは痛く迷惑したけども、
それで再興なった寺院もたくさんあるので
現在としてはまぁ功罪半ばかな

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