首都メキシコシティー, テンプロ・マジョール遺跡
Ruinas de Templo Mayor, MEXICO D.F.

2002年11月 / Noviembre, 2002

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テンプロ・マジョール遺跡説明 / Pagina Anteriora

なんだかんだ書いてみましたものの、
たいした写真もございません
といいますのが、ここへ寄ったのが月曜日でして
月曜日といえばメキシコでは博物館・遺跡公園は軒並み休み
ですので外から見ただけ

これはピラミッド神殿の基壇部分ですな

遺跡の間には歩き回って見学できるように通路があります

この遺跡はスペイン人に壊されるまでに7回増築されたらしいです
アステカといえばイケニエ・人身御供
それも万単位

というのも、
スペイン人到来以前には新大陸には
イヌと七面鳥以外には家畜がおらず
慢性的なタンパク質不足だったのですな

だから、旧大陸の人身御供と異なり、その意味はひたすら
「食人」(=タンパク源)にあったのです

なのでアステカ王国当時にはこのへんは
ひたすらガイ骨の山と死臭が立ち込めていたそうです
そんなわけで、
このテンプロ・マヨール横に建つメトロポリタン・カテドラルの下からも
トラック何台分という骨が出るそうです

その意味では、
先住民を虐殺したりこき使ったり
先住民の図書館(メリダの南方にあった)の
古文書を全部焼き捨てたり
神殿や石像壊したり
評判の悪いスペイン人征服者ですが、
有用タンパク源たる「牛・馬・羊・山羊」などを持ち込んで
”食人”をする必要をとっぱらったという功績はあるかもしれませぬ

階段にアステカ文字か何かが彫刻してあります

小さい祭壇がそこここに

この遺跡、全体に地盤沈下起こしてて
斜めに傾いてたりします
アステカ時代から地盤沈下起こしてたんじゃないかなぁ
スペイン人もアステカ人も石造建築の民族という点は同じやね
スペイン植民地時代になっての石造建築物の地盤沈下に
引きずられた可能性もありますが

こんだけ / Solamente es todo.

メキシコシティー / Mexico D.F.

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