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兵庫県は西部の海岸の町、赤穂
そこにあるお城・赤穂城

現在あるのは復元整備されたお城跡で、
石垣とお濠と一部の武家屋敷以外は復元ばかり
いや、大石内蔵助を祀る大石神社がありました



赤穂と言えば忠臣蔵
というても若い人は知らんかもしれんなぁ
江戸時代の話で、ある程度以上の年代にとっては常識中の常識的お話

知ってる人には蛇足ながら説明すると、
江戸時代5代将軍綱吉公の時代、赤穂の領主であった浅野内匠守が
江戸城の中で他所の大名の吉良上野之介に切りかかった、というもの
暴力事件ですな

江戸城の中は主君たる上様・徳川家の主城
つまり武器使用禁止
その中で刃情沙汰(=刃物使用)になったら即お家は断絶お取り潰し

でもやっちゃったと。若い内匠守は
んでもって即日切腹・お城は没収お家は断絶、家臣は路頭に迷う羽目に

対する吉良上野之介は一切お咎めなし

でもって旧・浅野家家臣が吉良上野之介の邸宅に切り込んで殺しちゃった、という
ま、仇討ち殺人ですわな

その仇討ち殺人の首謀者が大石内蔵助





事件発生当初からすぐに歌舞伎や人形浄瑠璃(にんぎょおじょおろり)などの
お芝居になって人気を博したそうで
(規制の厳しい江戸時代ですから名前は変えられてます。大石内蔵助 → 大星由良之助とか)

それでいろいろ虚実入り乱れてるわけですが



事件当時は京都の朝廷から使者:勅使が来てて、
吉良と浅野はその接待役
吉良が指導で浅野がその指導を受ける側

当時のうわさではこの時、浅野に対し吉良が賄賂を要求したとか
でも払わなかったとか
それで吉良がいろいろ意地悪をして、それでついに切れちゃって
刃傷沙汰になったということになってますが



これもまぁ、歴史学者の間ではいろいろあって
吉良はまぁほぼ悪くないとする人もいますが
賄賂というか、授業料は普通やん、ていう意見やら

それどころか、立ち話してるところにいきなり切りかかられたわけで
全然悪くも何ともない、なんていう学者もいます



でもね、やっぱ何もなかったら普通はいきなり切りかからないわけで、
それも2人居たうちの吉良だけめがけて切りかかったからには、
なんか遺恨があったと考えるのが普通でしょう

小学校とか多少なりともイジメられたことのある人は、この辺の経験あると思います
度重なる鬱憤がついに爆発する時って、いじめられてるその時じゃないもんです
むしろ何もない時

「立ち話してるところにいきなり切りかかられたわけで吉良は全然悪くも何ともない」
なんていう歴史学者は、たぶんいじめっ子だったんでしょう
加害者はいつでも常に無自覚なものです



とはいえ、赤穂浪士(仇討ち隊のこと)の人達も
具体的なその遺恨は知らなかったらしいです
江戸で起こった話しやし
ある意味「インネンつけた」みたいな感じもありますが





芝居では欲深ジジイとして描かれてる吉良上野介、
領国たる愛知南部の方では別段問題ない領主だったともいいますが

でもやっぱ悪いのは吉良上野之介やったんやないかな、というのに一票
理由は最近見た同時代秋田藩の資料に出てくる話から

秋田藩の資料によると、家老たちの間では吉良は
「物の欲しがる人」(物を欲しがる人)
という評判だったそうで、
「吉良が江戸屋敷に訪問してくる時には、床の間に良い掛け軸はかけるな」
という注意の申し送りがあったそうです
何やかや言うて分捕られちゃう、ってことですな
大名屋敷での申し送り
市井のうわさよりもかなり信憑性があります

としたら、
ワイロを払わずに苛められた、ってのもかなり有り得たんじゃないかと
そのワイロが適正額だったのか?という気もしますしね
もしか、全く払わなくてそれで苛めたとして、それも大人の対応じゃないし
浅野、若いんだし、吉良、もうジジイで分別あるはずだし

人んちの掛け軸でも遠慮なく欲しがる吉良上野之介
やはりかなりの強欲じじいだったとしか思えない



そんな訳でやっぱ吉良が悪かったんじゃない?に一票

播州赤穂・赤穂城跡 / Castillo de Ako

2005年11月 / Noviembre, 2005


 ♪ 勅使ぃ〜下向ぉの〜春ぅ〜弥生ぃ〜
いかに〜ぃ果たさ〜ん、務め〜なん〜
身ぃ〜〜は饗応ぅのぉ〜 たぁ〜ぃやぁ〜くぅ〜(大役)ぞぉ〜
頼むは吉良と、思へ〜ども〜ぉ、そ〜のふるまぁいの〜
心無ぁ〜〜〜き〜〜〜〜 ♪

「刃傷・松の廊下」

歳がバレます

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