滋賀県・シガヒの森
Una arboleda maldecida, en la provincia de Shiga

滋賀県に
”シガイの森”
という小藪があるという
場所は湖南


”関西怨念地図”にもちらっとその場所が出ている


なんでも、戦国時代
安土なる安土城に居城を構えていた織田信長公
その信長公が留守の時に
城の女中連がこっそり城を抜け出して遊んでいたという
当時安土はいわば新興都市
いろいろな意味で楽しんだということだろう
それが信長公に露顕し、女中達は死罪に処せられ
その埋められた場所が
”シガイの森”




・・・・・どこまでホンマなんでしょうねぇ、この話
よくでけた話ですが

なんとな〜く
「講釈師、見てきたようなウソをつき」
という気がします



場所については
「関西怨念地図」にも場所は記載されてるんですが
別情報もあり
その別情報ではまた異なる場所ということになっています



さて3つめの候補地
ここが一番雰囲気あります
田んぼの真ん真ん中にありまして
稲が植わってる間は近寄れないと思う

刈り入れの済んだ田んぼを横切り行ってみましたら
小さな祠が
横にはなにやら石碑もあります

「建部紹智・大脇傳助 殉教碑」

とある

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まず、
「関西怨念地図」を見てここか?と思たトコ
・・・・・でもまず違うと思いますけど

地図を見てすぐここを連想したんですわ

この藪は「関西怨念地図」以前から知ってまして
「周り一面田んぼやのになんで藪なんやろ」
と思ってました
しかし安土桃山時代ほど古くは無いはず
なにより樹が若い
そして直線状に樹が植わっている

たぶん、造園業かなんかで植木を植えてたのが
何らかの理由でほったらかしになった
そんな感じがします
ようは知らんけど
「関西怨念地図」とは別情報を元に行った森
しかしこれは間違いなく違うでしょうな
ここは由緒正しき神社でした

・・・だいたいこの周辺て
なんやしらんけど藪がよぉけあるんよな
その大半が神社ですわ
いわゆる鎮守の森
この
建部紹智・大脇傳助
について調べてみましたところ
ずばり安土時代の人物でありました
安土を舞台に行われた”法華の宗論”の主要人物

安土時代(天正年間)
法華宗と浄土宗とが信長公のお膝元・安土で公開論争を行い
法華宗が負けた宗論
その法華宗側の言い出しっぺがこの両二者
(From 信長公記:しんちょうこうき)

この法華の宗論、法華側は
「罠にはめられた」とか主張してるらしいが
「負けたものは負けた」らしい
それで法華宗側は「負けた」という判じ文を書かされ
建部・大脇2名は責任を問われて逃亡
泉州は堺まで逃げた所を捕えられて連れてこられ
死罪になった

どうやらここはその場所らしいですね




もしかしたらここがシガイの森の元ネタでは・・・?
そう思った次第であります
確証は無いけど、可能性はあるよな
時代も合致するし




「ここやないで!知っとんでその場所」
ていう方、いらさりましたらお教えくださりませ〜
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