4時半頃、小さな町のソカロ(中央広場)にバスが停まった
バスターミナルもないらしい
隣の座席の乗客にこの町の名を尋ねたら
ユリーリア(YURIRIA)とのことであった
へぇ〜、ここがユリーリア
ユーリリアについてのサイト → Yuriria
その3 / Tercera
2002年11月 / Noviembre, 2002
だんだんバスは下っていって湖へ近づいていく
時間は4時15分頃かな
ソカロに面して建つユリーリアの教会堂。アウグスティヌス会系
ここの教会堂は城塞化された教会堂
メキシコを征服したスペイン人がメキシコに植民都市を創った際、
コストの点から開放型の都市プランとなった
しかし、
城塞都市で育ったスペイン人には開放型都市は不安だったのか
征服したばかりの先住民を恐れたのか
征服初期16世紀の教会にはこういう城塞化されたものが多い
(他にはクエルナバカのカテドラルなんか)
18世紀までにメキシコでは20数回先住民の蜂起が起こった
ここユリーリアでも先住民チチメカ人が町を襲撃、
市民がこの教会堂に立て篭もった
しかし実際教会堂で攻防戦が行われたというのは
メキシコ史上では蜂起数の割には多くない
その中でもはっきり記録上に残ってるのはここユリーリア
湖畔の風景
麦畑かな
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