大阪・四天王寺
Shitennou-ji, Un templo de budista, Osaka

四天王寺

大阪はミナミの、阿倍野・天王寺の方にある大寺
てか四天王寺があるから「天王寺」て地名がでけたんやわな
なので場所は天王寺区になります

創建は推古天皇元年・西暦593年/6世紀
創建者はかの有名な日出づる国の天子・聖徳太子
つまり創建以来実に1400年以上経つ、日本最初の官営のお寺



この四天王寺さん
立地が奈良の古寺のような山陰ではなく、平地のただ中の上町台地上にある
そんな場所だけに幾度も幾度も風災害に遭い
しかも近世は浪速・大坂の町が出来、市街地の中に
なもんで戦災にも見舞われ
その度に伽藍を失ってきた



前回の伽藍は江戸時代初期、元和年間(1615〜1624)の再建
先の大戦によりこの時の中心伽藍は失われたが、
境内北東部の伽藍、
本坊通用門・五智光院・六時堂・元三大師堂・湯屋方丈などは戦災による焼失を免れた
それらは現在、重要文化財



現在の中心伽藍は鉄筋コンクリート製で再建
塔は8度目の再建





そうそう、忘れてた

かの聖徳太子が書いたという、
日本版ノストラダムスの大予言&日本版エメラルドタブレット
たる
「四天王寺瑪瑙記牌文」
(してんのうじめのうきはいぶん)

あった(隠されてた)ということになってたのは、
この四天王寺の金堂でした

今は金堂自体が再建やし、
そもそもこの予言書自体が室町時代あたりの偽書やからマジメに考える必要は無いけどね
おもろいけど







ここへ行ったのはたまたま
たまたま天王寺の駅(JR)で待ち合わせがあり
やや時間があったので行ってみた
ただそれだけ、なんですが

やはりお寺
侮ってはいけませぬ

いいですなぁ
お庭は







現在でこそ、この四天王寺
市街地のただ中にあり、車の排ガスにまみれてしまってるけど
かなり昔はこの四天王寺の立つ上町台地の西側まで
海が来ていた



それこそ昔は
この西の大門に立って、西海に沈む日輪を伏し拝むことが出来る、
西方浄土から阿弥陀如来が来迎し給うのを感得することのでける霊場でした
そういうのを日想観というのやが、
(入日を阿弥陀如来・西方浄土と見立て、来迎する阿弥陀如来を感得するというもの)

契りあれば 難波の里に やどりきて        
             波の入日を拝みつるかな


                                           藤原家隆朝臣

                        藤原家隆:鎌倉初期の勅撰和歌集「新古今和歌集」の選者の一人
                 1237年四天王寺での辞世の一首



また、四天王寺の西に位置した浜はきれいな桜貝が多く拾えたという


今ではもう全く想像することすらおぼつかない

2006年4月 / Abril, 2006


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でも。遠〜い昔。
なぜか見たことあるような気がするのですわ、ワタシことフラノは(笑)
ここの大門から見た波の入日と、汀と
西海の彼方のお浄土の幻

何個か前の前世かね(笑)
四天王寺前 / Ruta al templo de Shiten-no-ji
境内1 / Recinto, 1
境内2 / Recinto, 2
亀井堂、中央伽藍1 / Kameido y los edificios principales, 1
中央伽藍2 / Los edificios principales, 2
本坊・五智光院 / Honbo y Gochiko-in
本坊庭園1 / Jardin, 1
本坊庭園2 / Jardin, 2
本坊庭園3 / Jardin, 3
本坊庭園4 / Jardin, 4
方丈1 / Houjou, 1
方丈2 / Houjou, 2
太子堂 / Taishi-dou
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