沖縄本島・読谷村・泊グスク公園
Un parque donde esta un fuerte antiguo,
La Isla Principal de OKINAWA

沖縄本島の中部・読谷村
その読谷村の南部、嘉手納との境目にある城跡の公園
それが泊グスク公園

”グスク”というのは沖縄語でほぼ「城」の意

だいたい600年ほど前、琉球三山抗争時代の城みたい
ここにあった城は正確には渡具知泊グスクというたらしい
でも感じとしては
城というよりかは「砦」と表現するほうがしっくりくるんちゃうかな

城うんぬんはともかく
自然になのか人為的になのか
削れた岩が不思議な造形になってておもしろい

これが泊グスク公園の泊グスク跡

整備されてて公園になってます

船溜まりもあり、見通しもきき
崖になってて守りもきく
なるほど、城にしやすそう

てか、子供の遊び場にぴったりやね


岩の隙間からは嘉手納の住宅が見える
・・・・・なんというか
沖縄は石灰岩のため奇岩怪石が多いが
ここのは飛びぬけて極端

まるで井上直久のファンタジー世界
「イバラード物語」の風景まんま

でも形が形だけに
落石の危険があるらしく
柵が設けられてる
それがイマイチ
しゃあないけど

その1 / Primera

沖縄本島へ戻る / I. Principal de OKINAWA

上の写真の丘の下
こんな風に空間になってます
すごい

まるで秘密基地やんな、ここ
この造形を有史以前に初めて見つけた人は
さぞやびっくりしたやろね

でも・・・・・少々人為が入ってるかな?

中央の大きな岩の上
登れるようになってますが
後から封鎖されてます

これらの柵がなければ見目麗しいねんけどな
致し方ないか

さて誰かが私設で置いたらしき歴史説明板
ここにこの渡具知泊グスクの歴史が書かれてます
句読点が全然無く読みにくいので難儀します
以下

今から六00年前三山戦国時代中今帰仁城主按司は
臣下本部大主の謀反にあって城奪れる一時世替りの
騒動の中にあったが嗣子千代松金は名お丘春と改め
読谷山間切北谷間切砂辺村へ落ち延び読谷山大木
徳武佐で難を遁る丘春仇討の幾会を待ち十八年後に
旧臣を集め本部大主お討って本懐おとげ城奪返す
然るに次の代後北山の怕尼芝に攻められ中北山は
遂に亡んだのである
時の若按司は本部具志堅で死す隠居の身仲宗根按司
丘春は戦に追れ住なれた読谷山間切に逆戻り当地にて
城奪返しの態勢を整たが力及ばず遂に当地にて終身す
按司丘春そして臣下の骨玉は東の方鷹の目洞窟に葬れる
以後此の地一帯を渡具知泊城と称す
一九七九年十二月二十五日



・・・・・読みにくいけどだいたいわかりましたか?

按司:(あじ)。豪族、領主
本部大主:”もとぶうふぬし”と読むか
読谷山:”よみたんやま”ではなく
     ”ゆんたんざ”と読む
間切:(まぎり)琉球時代の行政単位
    郡みたいなもんと思たらよろしい
怕尼芝:”はにじ”と読む。14世紀末
      北山王で今帰仁城主。中国とも関係を結ぶ
読谷泊ぐすく・その2 / Segunda
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