旅行写真のページへ戻る / Viajes

NICARAGUA / ニカラグア


中央アメリカ地図へ戻る/Mapa de America Central

ニカラグア

いわれてわかる人はそうそうおるまい
まぁ中米地峡の国々はどこも日本ではマイナーな国ばかりですが
かつての強烈な内戦国、といえば少しはわかる人もおるかな

中米の国は割と小国ばかりだけども、その中では最も大きい国
といっても日本の3分の1
北海道に九州を合わせたくらいの面積
そこに約500万人しか住んでない
北海道よりひと回り広い土地に、北海道と同程度の人口(約560万人)
なおかつ国土の半分(カリブ海側)は未開発のジャングル
北海道に例えてみたら、
道東がほとんど全て未開のジャングルというような感じか

行ってみての印象は、人口密度の低〜い国
空き地だらけ

一般的なデータは以下





人口:約500万

首都:太平洋寄りの低地マナグア湖(ソロトラン湖)の南岸のマナグア市

宗教:カトリックが主

人種:メスティソが70%
他、先住民ミスキートや白人、黒人など

言語:スペイン語。
でもカリブ沿岸は英語も。他、先住民語ミスキート語




さて
ニカラグアは、なによりかつての内戦国
ていうか、中米は内戦激烈な国が多い。そういう国の一つ

内戦になった理由の一つは、貧富の差や一握りの特権階級の存在などもあるが、
何より自国の国益のためだけに軍隊やCIAを送り一方的に内政干渉した
「アメリカ」の責任も相当でかい

経緯は以下



1978年2月FSLN(サンディニスタ民族解放戦線)、独裁者ソモサに対する武装蜂起を開始、内戦勃発

レオン・エステリ・チナンデガなどで各地で武装蜂起、政府側はエステリ空爆(78年9月)など攻勢を強める
それでも武装蜂起とFSLNの攻勢は止まらず
79年6月、戒厳令公布。マサヤ市・レオン市への無差別爆撃開始
しかし最終的に首都マナグアでも武装蜂起開始
(ソモサは自国の首都マナグア爆撃をも指示)
1979年7月17日、首都マナグアを包囲されついに独裁者ソモサがアメリカへ資産を持って亡命、
社会主義政権成立
(国家はソモサが資産持って逃げたので破産)



しかし共産政権を嫌ったアメリカ(レーガン大統領)が内政干渉を開始
経済援助の停止(1981年)や機雷封鎖(1984年)、経済制裁(1985年)などを始める
そして反FSLNのゲリラ軍コントラ(アメリカ創設の旧独裁者ソモサ派をメインとした武装組織)を組織、
隣国ホンジュラスからニカラグアへ再三再四攻めこませる
CIAや特殊部隊も送り込みFSLN要人の暗殺も画策

ちなみにこの時アメリカの手先となってコントラ支援の資金調達係をしていたのがサレム・ビン・ラディン
オサマ・ビン・ラディンのお兄さま

また、
1981年以降の経済制裁や機雷封鎖の間は、経済的に立ち行かずたびたび超インフレ発生
物価上昇率3万3600%の年も(1988年)



最終的には
サンディニスタ対コントラの戦いには決着はつかないまま、
国は疲弊の極みに。そして国民のサンディニスタ政権離れが起こり
どちらも勝つことが無く
国を引っ掻き回しただけで終わってしまった

どう見ても悪いのは米国



独裁者ソモサを追い出すまでの内戦での死者は推計4〜5万人
(てかソモサによる自国の首都マナグア爆撃だけで1週間で9000人死亡)

次のコントラ(=アメリカ)との戦争では
1981年から1990年まで、死者は約5万7000人とか

人口たった500万のこの国で



なんというか・・・・・
この1978年〜1990年頃のニカラグア情勢を調べると、
暗〜い、いや〜な気持ちになれます
少なくとも「アメリカ合衆国」は嫌いになれます

いまは紆余曲折の末、長〜い内戦も終わり、
北部山岳地帯の武装グループ残党もほぼ一掃され(2002年)、
そこそこ安定しています





長々と歴史書いてきましたがこの歴史。ほんの2、30年前のハナシ
なんか今のイラク情勢の様じゃないかい




ニカラグア湖畔の町、グラナダ / Granada
北部高原の町、エステリ / Esteli
北部国境、ラス・マノス / Las Manos, La Frontera con Honduras
SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO