メキシコ・テオティワカン遺跡 / Ruinas de Teotihuacan, Mexico

 メキシコといえばこの遺跡、というくらいメジャーな遺跡、テオティワカン。
テオティワカンは西暦紀元前2世紀〜紀元後8世紀の都市遺跡。
紀元後4世紀〜7世紀ごろが最盛期で、8世紀には滅亡する。
テオティワカンはコロンブス以前のアメリカ大陸における最大級の都市であった。
中心部にあるピラミッド”太陽のピラミッド”は底辺の一辺が225メートル、
世界第3位のサイズである。
”太陽のピラミッド”、”月のピラミッド”を始めとする大小のピラミッドが立ち並ぶさまは今でも壮観。

なお、テオティワカンという名前は後の時代のアステカ人が名付けたもの

場所:メキシコ・シティーの北約50`

時代:紀元前2世紀〜紀元後8世紀
    最盛期は紀元後4〜7世紀

性格:宗教都市遺跡

民族:諸説がある

材質:石材等

”月のピラミッド”より”死者の大通り”と”太陽のピラミッド”を望む

”死者の大通り”から”月のピラミッド”

”月のピラミッド”上より、周辺の建造物群

 追記

先コロンブス期のアメリカ大陸の建造物については、文字による記録がほとんど無いためその歴史がはっきりとしなかった
このテオティワカンもその例に洩れない

時期はともかく、
誰が築いたのか、どの民族が住んでいたのか、なぜ滅亡したのかなどがどうにもはっきりしないのである
それでも断片的な情報(スペイン人到来時の記録)や考古学的なデータからなんとかその歴史が推測できるようになってきた

テオティワカンは平和な神権政治だったなどとも言われるがそうではなかったようだ。
どうも軍事国家だったらしい
その武器はメキシコ的な”投槍器”であった

そして、テオティワカンは約1000`離れた現在のグァテマラ辺までも軍隊を送り、征服・支配したようだ
現グァテマラの都市遺跡”ティカル”や、”カミナルフユ”などの遺跡には、はっきりとメキシコの影響が現れている





マヤ地域は、アメリカ大陸で唯一完全な文字体系を完成・使用した地域である
最近では研究が進んで、マヤ地域に残されたマヤ文字碑文はかなり解読できるようになった
そこから最近になって、マヤ碑文の内容に
テォティワカンの帝国に関する記述が含まれているらしいことがわかってきた





現グァテマラのマヤ都市遺跡ティカルの碑文の研究によると、
テオティワカンによるティカル征服は
西暦紀元後378年1月31日
であったらしい

この日、
ティカル(古名ヤシュ・ムタル)「シヤフ・カック」という人物が”到着”し、
同じ日、ティカル王チャク・トク・イチャーク1世は入水自殺した
これによりティカルの直系王統は滅亡し、
テオティワカンの血を引くものがティカルを支配することとなった
ティカルに現れた「シヤフ・カック」
「投槍フクロウ」(アトラトル・カウアック)
というメキシコの人物の臣下であったという



この「投槍フクロウ」(アトラトル・カウアック)こそ、テオティワカンの王らしい





テオティワカンを築いた民族は諸説があるが、
おそらくはオトミ系・マトラツィンカ系民族であったらしい
彼らは本来のトルテカ(都市住民)であった
また、テオティワカンを滅亡させた政治勢力は現ショチカルコ遺跡の勢力であったようだ

テオティワカンという古代帝国の滅亡後のメソ・アメリカ地域は群雄割拠の地方分権状態に入る
それはアステカ帝国の出現まで続くのである

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1995年5月 / 1995, Mayo

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