ケレタロ州・州都ケレタロ 2度目
De Nuevo Queretaro, en el Estado de Queretaro

その6 / Sexta


2002年11月 / Noviembre, 2002

これ・・・カテドラル(大聖堂)だったか他の教会だったか
それともケレタロ地方美術館なのか
正確な名前がわからんままになってしもたんやけども、
なんしかフエンテ・デ・ネプチューンのあるサンタ・クララ教会から
南へ数クアドラ(街区)行ったとこにありました、確か
となると、地方美術館かな、やっぱ



よく見て欲しいのは、この教会前に立ってる十字架です
多分再建ものだとは思いますが

いいですか?これはテキキ十字架です
初期植民地時代のメキシコ宗教芸術のひとつで、
テキキ美術とか呼ばれることもあるそうです

”テキキ”とは、アステカ帝国の言語ナウアトル語で”貢物”の意味
先住民の労働力提供、という意味ですかね

なぜもったいぶった言い方をしてるかと言いますと、
この十字架、なんかいっぱいヘンなものが張り付いてます

初期キリスト教布教時代、
宣教師どもを悩ませたのは十字架の意味
先住民の在来宗教を”野蛮にして悪魔の邪教”と決め付け、
特にイケニエを禁止した宣教師
知的能力は高く、複数の部族・民族の言語を解し
しゃべることのできた各修道会士にしても、
”十字架に張り付けられたキリスト”の意味を説明するのは困難でした
だって、見た目は「イケニエそのもの」ですし

それで宣教師・各修道会士さんたちは考えました
「キリスト像は当面外そう。その代わり、
キリストを象徴するものを十字架に張り付けよう」
と。
それで十字架にハシゴだのなんだのが貼り付けられることになりました
これが、テキキ十字架の発祥です

ハシゴはキリストの昇天(ハシゴ使って天に昇るの)を意味してるとか

その後、テキキ十字架はいろいろ変化を辿っていきます
イケニエとは解されずに無用な誤解は避けられたわけですが、
だからといってちゃんと理解してもらえたわけではないのです
先住民の職人達はその様々な象徴物を”単なる飾り”と考えた場合が多かったわけでして
そこからいろいろとヘンテコな十字架が成立していったわけです

ここのこの十字架はわりとまともなテキキ十字架のようですが

また、
キリストの磔刑を象徴した十字架は材質的には木材です
しかし恒久的な使用のためには石材でもって十字架を作ったりしたわけです
そこにアステカ人の職人達は妙なコダワリを示しだしたのでした、
石の十字架にクモ這わせたり年輪刻んでみたり、木の皮を彫刻してみたりと
いろいろ楽しいことをやっていったのです

ビバ!蛇足根性!

これらの植民地時代の宗教芸術を総称して、テキキ美術とか言うたりするそうですわ
皆さん、メキシコ各地には”テキキ十字架”が埋もれてますから探してください♪

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ケレタロ 2度め その5 / De nuevo Queretaro, Quinto

やれケレタロは中途半端やのなんやの申してきましたが、
1泊のみでしたけれども
振り返ってみれば結構楽しんできたと思います
グァナファトよりは




この後は北方、サン・ルイス・ポトシへ向かったのでした

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