オアハカ州・州都オアハカ / OAXACA, OAX

オアハカ(ワハカ)

オアハカはメキシコ南部、オアハカ州の州都
メキシコの中でも先住民人口が多い州である

メキシコではオアハカは、
メキシコ史上唯一の先住民出身の大統領”ベニート・ファレス”
出身地として知られている

この地方の先住民はサポテカ人、ミシュテカ人等が主。他にもミシェ(ミヘ)人等もいる

1535年ここに司教座が置かれたことから発展した

1987年世界遺産指定。

標高約1500メートル。メキシコ・シティーからバスで約6時間
個人的にはメキシコで一番好きな町


歴史
(主に征服初期)

オアハカはその名前がアステカ帝国の言語ナウアトル語に由来している
スペイン到来以前、現在のオアハカ谷にはアステカ帝国の城塞があった
(多分この地方の支配民族ミステカ族に対してだろう)
そしてアステカ族はこのオアハカ谷を”ウアシャカ”と呼んでいた
意味は「アカシアの小さな森」である

1521年、アステカ帝国の首都・テノチティトランが陥落し、
このウアシャカの地もスペイン人の支配下に入った

1529年
スペイン人はこの土地を「アンテケラ・デ・オアハカ」と命名、植民都市の建設を始めた
1区画84mを基準に碁盤目の計画都市が建設されたのである

1535年
ここに司教座が置かれることになり、それを機にカテドラル(大聖堂)の建設が始った





当初
メキシコ全土はフランシスコ修道会が布教を取り仕切ることになっていた

しかし、人員不足と効率が悪かったことから、後続の諸修道会に地域を分割することに同意する
そのため、現在のオアハカ州の地域は後続の修道会ドミニコ会の管轄エリアになった
この各修道会の個性の違いにより、各地の教会建築にもいろいろ差異や個性が生じている



ところで、征服初期の修道会の活動はと言えば、
都市計画・都市建設・教会堂建立・先住民の改宗と教育・先住民共同体の維持
である



このうち、先住民の改宗・教育と先住民共同体の維持を巡っては、
入植白人達と利害が衝突、なかなか上手くいかなかったが、
都市建設と教会堂建立にあたっては利害が一致した
そして迅速に素晴らしい教会堂が各地に建設されていった

もちろん都市にせよ教会堂にせよ建設に従事させられたのは先住民である



1535年に建設が始ったオアハカ市大聖堂は、途中地震に見舞われながらも、
約200年かかって完成する
地震の多さに鑑み、鐘楼などは低く建設されているのが特徴である



カテドラルよりも有名なサント・ドミンゴ寺院の建設は1575年から約100年かけて建設
巡礼地として有名なラ・ソレダー教会1682〜90年に建立されている

オアハカ市 その1 / Oaxaca, Oax, Primera
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2006年・オアハカの出来事
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