境内を流れる御手洗川の上に橋のように懸かって建てられているので橋殿
形自体は舞楽殿という感じで実際昔はここで雅楽が演奏されたらしい
現在は御蔭祭のときご神宝を奉安するのに使われている
橋殿の向こう
御手洗川にかかった橋を渡ったところにあるのが
細殿
二重合天井になっている
寛永5年(1628年)の造営
これも重要文化財
この時、この建物は神前婚の
親族控え室になってた
橋殿・細殿のすぐ横手
御手洗川にかかってる太鼓橋
その2 / Segunda
境内にある解徐所(げじょどころ)という場所
天皇が御幸した場合
ここで解除お祓いをするとこ・・・やったかな?
さて楼門をくぐって境内入って左手にある神服殿
夏・冬の御神服を縫製するところだったのでこの名前
近世には勅使殿となり,
また御所が災害にあった場合の臨時の御座所となった
貴人しか使用を許されぬため「開けずの間」ともいうらしい
寛永5年(1628年)造営
やはりこれも重要文化財指定
これは境内右手にある建物で、橋殿
これも重要文化財指定
<橋殿・細殿・神服殿>
解徐所の横手にある姫小松
この小松にもまたなにか由緒があるらしい
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