京都・金地院
Templo Budista, Konchi-in
南禅寺金地院
京都市の東山の麓、
紅葉で有名な南禅寺のすぐ横にある南禅寺の塔頭寺院
元々は室町時代に開基された寺院ながら、
江戸初期の慶長年間、
金地院崇伝(こんちいんすうでん)が南禅寺の塔頭に移築して現在へ至ってる
この金地院崇伝
徳川家康の側近であり、
天海僧正と並ぶ家康のブレーンだった僧
公家・社寺関連の政策を担当し、「禁中並ビニ公家諸法度」とか、「新寺院諸式」などの法律を立案、
大いに権勢を奮い、寺大名とも称された
別名を「黒衣の宰相」
裏工作を得意とし呪術・呪法にも長け、
あまりに裏工作ばかりするもので
世上の人は崇伝を正しく呼ぶことなく
「大慾山気根院僭上寺悪国師」
と名付けたとか
ちなみに、
大坂冬の陣・夏の陣の発端になった、
豊臣秀頼が造らせた鐘に刻まれた文字が”家康への呪詛だ”という有名な言いがかり事件
「方広寺の銘文”国家安康”」事件
(”家康”の2文字を分断して呪詛している、といういいがかり事件)も、
発案者はこの崇伝
いわば、ロクでもないことばかりをした坊主
そのお寺です