奄美大島 / La isla grande de Amami-Ooshima


説明

奄美大島

琉球列島の北半分、
鹿児島県に属する、奄美群島(奄美諸島)
その最大の島が、奄美大島
全国の離島の中でも第3位の大きさ

(ちなみに沖縄本島は離島には分類されませんので、)
(純粋に、島の大きさなら本州九州四国北海道を除いて4番め)





奄美大島は、
文化的にも言語的にも沖縄に近く
全体的には琉球文化圏に入ります
例えば
沖縄本島の「ちゅら」(美しい)は奄美大島では「きょら」
ヤギは沖縄本島では「ヒージャー」、奄美大島では「ヒンジャ」
実際にも奄美大島は過去、琉球王国の領土でもありました

まぁ
奄美大島が琉球王国の領土になったのも、
琉球王国の武力による征服があったわけですけど





え〜、学校では教えない琉球列島・奄美の歴史は以下



1429年
沖縄本島・三山(南山・中山・北山)を統一した中山王・尚巴志(しょうはし)は
余勢を駆って沖縄より北の島々の征服にかかります

沖縄のすぐ北の与論島の按司・根津栄(にちえー)を滅ぼし
沖永良部島の、琉球北山王系列の「永良部世の主」を平らげ
次の徳之島も版図に加えて奄美群島・南三島を征服
加計呂麻島(かけろまじま)の南の島・与路島(よろしま)を拠点として北三島を征服にかかります

このへんの経緯は、
琉球正史「中山世鑑」自体に全く記述自体が存在しないので不明なんですが
だいたい1440年か41年に
加沙里島(奄美大島)は琉球王国・中山軍により征服されたらしいです
この時に奄美大島は琉球王国になったわけです

ただし、隣の喜界島は頑強に抵抗してます
征服するのに実に25年かかってます



それが鹿児島県になる経緯は、平たく言えば
1609年の鹿児島・薩摩藩による琉球征伐(琉球王国の武力征服)によるわけです

1609年3月4日
琉球征討軍が鹿児島・山川を出発
3月7日には奄美大島北部へ到着
翌8日には笠利を制圧
南部・焼内付近では大島住民の抵抗に手を焼いたものの
3月15日には奄美大島全島を制圧
以降、
徳之島でも激しい戦闘があったものの征服
喜界島・沖永良部島は戦わずに降伏

薩摩軍は続いて3月25日、沖縄本島北部・運天港へ上陸
4月1日、那覇・首里攻略があり4月4日に国王が自ら人質となり琉球王国、降伏



その後の戦後処理により、
琉球王国は存続を赦されたものの、与論以北が割譲されて
薩摩藩領地となりました

ただしこの割譲、
薩摩藩はこのことを幕府将軍家には報せてません
いわば奄美群島は薩摩藩の
「へそくリ」
みたいなもんやったようです

そのため、年貢租税の取立ては苛斂誅求極まるものだったらしいです



その後、
明治になり薩摩藩が鹿児島県になるにおよんで
そのまま与論以北の旧・琉球王国領土も鹿児島県に編入されて
今に至るわけです



琉球王国と大和・薩摩との間にあって
両方から翻弄された奄美群島
その歴史から、奄美群島を
「道の島」
ともいいます

通常の日本史には決して出てこない、島の歴史です

奄美空港
あやまる岬
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奄美クレーター
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K ホノホシ海岸
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K
沖縄・奄美へ / Okinawa y Amami
鹿児島へ / Kagoshima

2009年7月22日
奄美皆既日食観望レポート →

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