キリグァー遺跡 / Ruinas de Quirigua

歴史

キリグァーの初まりは碑文上では西暦5世紀前半(後426年)、
「トク・キャスパー」とニックネームを付けられている王から始まる。

その後約3世紀の間、
キリグァーは永らくモタグア河流域の中心都市国家コパンの衛星都市であった。

やがて古典期末期の西暦738年、
カック・ティリウ・チャン・ヨアート王(燃える雷の神の王)は
宗主国コパンの王ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィール王に対し反逆、
この王を捕らえ斬首、独立を勝ち取った。
これによりキリグァーはモタグァ河交易権を手中に収めて繁栄した。

しかし時はすでに古典期末期、マヤ世界の崩壊はこのキリグァーにも及び、
西暦810年の石碑を最後としてキリグァーは因縁のコパン同様、放棄される。

現在残されているキリグァー遺跡の主要建造物は、
コパンからの独立から古典期崩壊までの約70年間に建てられたものである

ホンデュラスのコパン遺跡と常にセットで語られる現グァテマラ国内のキリグァー遺跡
コパンとキリグァーは国境を挟んでいるとはいえ、本来的にはごく近距離にある
往時(マヤ古典期)にはどちらもモタグァ河に面する交易都市

キリグァーを有名たらしめているのはその巨大な石碑


とかまぁいろいろ書きましたが、
遺跡自体はそんなにでかくない。
標高約700mなだけにいかにも熱帯っぽい


しかもこの遺跡は石碑が有名なのに、
ワタシ石碑の写真撮ってませんでした。
アホですわ


こうやってみたらなんかよくある公園みたい

しかしながらキリグァーはその尊厳をかけ
マヤ最大級の広場を建設
その奥行きは約325m

ますますもって普通の公園の競技場の観客席みたい

でもこれが造られたのは西暦8世紀、
そう思うとなかなかすごい。
日本なら平城京のころか

古代ギリシア・ローマのアクロポリスに比肩してもええやろね

遺跡のインデックスにも使ってる写真


わらぶきの屋根の下には石碑や
キリグアー遺跡独特の獣形祭壇がある。
でも写真には収めてなかった。
残念。もっぺん行かなアカンかな


後ろは崩壊した遺跡(プラットフォーム)
地震などで崩壊したらしい。
地震国やからね、グァテマラは。


1997年 / 1997

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